トマス・アクィナス

哲学は神学の婢(はしため)である。

Thomas Aquinas[1225-1274]
中世最大の哲学者。南イタリアの貴族の血筋をひく一家に生まれる。18歳のとき、清貧を戒律にした托鉢修道会ドミニコ会に入会、家族の猛反対にあう。神学の初学者のための入門書『神学大全』を執筆。第3部未完のまま死去。

 聖書の世界をいかに読み解き、それをひとつの体系として提示するか。キリスト教の体系化は、新訳聖書の成立後、長い年月にわたっておこなわれた。5世紀、アウグスティヌスはキリスト教にプラトン哲学を導入し、見事に融合させた。13世紀、キリスト教にアリストテレス哲学を導入し、キリスト教の体系を完成させたのがトマス・アクィナスである。
 アリストテレスの著作はヨーロッパではそのほとんどが失われていたが、古代の文献を数多く保存していたイスラム世界との交流によって12世紀以降に逆輸入された。それによって、信仰に基づく神学と自然主義的なアリストテレス哲学の間でどのように折り合いをつけるかが神学者の課題となった。アクィナスの最大の功績は、宗教的信と哲学的知を明確に区別し、後者を前者の下位に置くことによって両者を調和させたことにある。このような調停には、神学、哲学双方の博識と、知的統合の力業が必要であったことはいうまでもない。
 『神学大全』はスコラ(ラテン語で「学校(=大学)」を意味する)学的方法によって書かれている。すなわち、ある命題について肯定と否定(プロとコントラ)両者の立場とその理由が示され、それらが弁証法的に考察されるのである。
 例えば、第1部第1問第5項「聖なる教えは他の諸学よりも高位のものであるか」について見てみよう。まず、否定の立場とその理由が示される。一、信仰箇条を原理とする聖なる教えは疑う余地があり、他の諸学に比べて確実性が低いので、高位のものではない。二、聖なる教えは他の諸学の知識を借りることがある。よって高位のものではない。続いて、典拠とトマスの見解が示された後で、肯定の立場とその理由が示される。一、信仰箇条について疑いの生ずることがあるとしても、それは事柄自体の不確実のためではなく、人間知性の弱さのためである。最も高い事柄について持つことのできる知は、たとえごく僅かであっても、つまらぬ事柄について持つことのできる最も確実な知識より望ましい。

二 についてはいわねばならない。この学〔神学〕は哲学的諸学問から何かを受け取ることもありうるが、それはぜひともこれらの学問を必要とするためではなくて、この学において伝えられる事柄をいっそう明瞭にするためである。実際この学はその原理を他の諸学からではなく直接に神から、啓示によって受け取っている。それゆえこの学は他の学を…いわば自分より下位のもの、ないし婢として使用する。(「神学大全」)

 『神学大全』は、その構成の均斉美と壮大さによって、しばしばゴシック大聖堂にたとえられる。死の前年、ミサ中トマスに突然心境の変化が起こり、以後放心状態に陥る。トマスは友人に「これまでやってきた仕事はわらくずのように思われる」と語ったという。ダンテの『神曲』に登場するトマスは天国で清貧の功徳を説いている。

君主の統治について/謹んでキプロス王に捧げる
トマス・アクィナス/柴田平三郎訳(岩波文庫)
王権神授説以前のかなりリベラルな王制論(「こんな君主は××だ!」)。一托鉢修道士が王に向かって君主のあるべき姿を説くこと自体がその左証である。