ブレーズ・パスカル

哲学をばかにすることこそ、
真に哲学することである。

Blaise Pascal[1623-62]
フランスの哲学者、数学者、科学者。パスカルの定理、パスカルの原理などで知られる。確率論の創始者、世界初の機械式計算機(パスカリーヌ)の発明家でもある。哲学的にはキリスト教ジャンセニスム派の支持者としてキリスト教護教論を展開した。病気がちで39歳という若さで亡くなった。

 パスカルの主著『パンセ』は遺稿集である。パスカルの死後、1670年に出版された。正式な書名は『死後遺稿のなかに発見された、宗教および他の若干の問題についてのパスカル氏のパンセ』。「考えること」(penser)、その成果としての「思想」(pensée)、そしてその複数形が「パンセ」(pensées)である。「キリスト教護教論」として計画されたが未完に終わり、全体の5分の2弱にあたる草稿断片(1000近い断章が書き込まれたおよそ800枚の紙片)が残された。400ほどの断章を選び出して加筆した前述の「ポール・ロワイヤル版」を始め、『パンセ』にはいくつもの版が存在する。
 フランスの哲学者デカルトの著作は後輩のパスカルに強い影響を与えたに違いないが、デカルトとの哲学的アプローチの違いは明白だった。パスカルは『パンセ』のなかでデカルトのことを「無益で不確実なデカルト」と呼んでいる。デカルトは自らの哲学の基礎づけのために神を必要としたが、パスカルにとっては、むしろ魂の救済や神への信仰を基礎づけるものとして哲学が必要だったのである。
 「人間は考える葦である」という警句もそうした文脈において読まれなければならない。

人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。…宇宙が彼をおしつぶしても、人間はかれを殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。(「パンセ」)

 「偉大さと惨めさ」の折衷こそが人間の置かれた状態である。そして、その本性は、高貴な動物にして下劣な天使。パスカルの人間学はこうしたオクシモロン(撞着語法)に貫かれている。「人間は、自分を動物に等しいと思っても、天使に等しいと思ってもならない。両方を知らずにいてもいけない。どちらをも知るべきである」。
 人間の思惟は偉大だとしても、神は人知を超えた存在である。神の存在は理性による推論(「幾何学的精神」)ではなく、心による直感(「繊細の精神」)でつかむほかない。パスカルにとって、信仰とは「賭け」(「神がいる」ほうに賭けること)にほかならなかった。
 パスカルが31歳のとき実際に神秘体験をしたことは伝記的な事実である(彼はその体験をのちに「メモリアル(覚え書)」と呼ばれる一枚の紙片に記し、胴衣の裏に縫い込んで終生持ち歩いた)。徹底したキリスト者としての禁欲生活が彼の寿命を縮めたことは間違いない。今際の言葉は、「神が決して私を捨てたまわないように」だった。

パンセ
パスカル/前田陽一・由木康訳(中公文庫)
「クレオパトラの鼻」「考える葦」といったフレーズで有名なパスカルの断想集。あなたもお気に入りの名句(「いいね!」)を探してみよう。